2014年6月10日火曜日

お金があれば?

みんな、お金があれば何か出来ると思っている。でも、お金があっても出来ない事の1つに、「楽器演奏」がある。これは、自分で楽器を買って、教則本を買うか、先生に習うか、自分で好きな音楽をコピーするのか、いろんなやり方があるが、どれも、お金を出して買えない。楽器、教則本、先生、どれもお金がいるが、結局は自分である。自分が、動かない指を動くように、いい音を聞き逃さないようにしなくては、楽器を弾けるようにはならない。歌も同じ。

でも、最近はDJとして音楽をやっていく方法がある。
音とフレーズ、リズムパターンが用意されていて、それを選ぶだけで音楽が出来る(!)というパソコンのソフトや、ハードウエアが楽器の代わりとなって売られている。しかし、これに手を出した大部分の人は思っていると思うが、素材が用意されているけど、それを組み合わすセンスというものが必要なのである。

楽器演奏では、少々ヘタクソでも「ああ、よく練習したね。」で済んでいた事が、そうではなくなってきた。自分のセンスのなさを痛いというほど味わわされるのである。用意されてるフレーズを組み合わす事によって、そのフレーズの持っている良さを完全に殺してしまう。聞かない人々は用意されているフレーズが悪いと言うだろう。でも、自分ではセンスの無いのがイタイほどわかっているのである。「こんなことなら音楽をやろうと思うのでなかった。」と思うことだろう。
(もちろん、その逆の人もいると思います。そういう人はDJとして、皆に音楽を聴かせまくっていることでしょう。)

しかし、楽器演奏や自分で歌う事は、とてつもない面白さを秘めている事に気づいている人も多いだろう。私もその1人。

昔は、クラシックギターを弾いていた。(エレキギターとフォークギターもやった)でも難しい。それならば、という事でリュートを始めた。始めた時は気づいていなかったのだが、明らかに19世紀以降のギター音楽より、16、17世紀のリュート音楽の方が弾けるのである。技術的に簡単だ、ということはある。が、別の難しさもある。でも、どちらをとるかと聞かれれば、今は、リュート音楽の方である。音楽的な面白さは昔の音楽には普通にあったようだ。それを19世紀以降、僕らが生きる21世紀(and 生きてきた20世紀)では、練習曲とか、指の訓練のような音階を弾かされる事によって、音楽を嫌いになる人が多い。特に日本のピアノ教育はその傾向が強いようだ。

音楽の面白さを知っていて、物事をお金に換算するような考えに染まっていない人は、ヘタクソでも面白い音楽を奏でられる。


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