2017年2月23日木曜日

流動体について

今日はいい日だった。
朝、メールを見ると「ペンギンは空をめざす」の第6話が。今度の「おはなしえん」の演目。それにこれから音楽をつける。わくわくするような仕事。

電車に乗っているときに読んでいる「月刊佐藤純子」。震災の後のことを描いた漫画が載っていて、そのときのいろいろな思いに感動。いつものような、なんでもない事を愛おしく思う内容に感動。

その後CDショップを冷やかしに。

小沢健二ニューシングル「流動体について」。
理科系的なタイトル。なんと19年ぶり。
サイズが昔のドーナツ盤ぐらいのサイズなので、CDなのかアナログなのかが判別しにくい。

ポップと対照的なタイトルにすることでよりポップ感を出すんやろなー、と思いながらCDショップの視聴コーナーで聴いてみた。

途中の間奏のとこまでヘッドホンを離せなかった。涙が出そうだった。間奏のとこにきたので、泣く前にヘッドホンを外し、別の売り場に行った。
しかし数分後にはそこに帰ってきて、もう一度聴いた。最後まで。もう泣きそうだった。というか泣いていた。

何に感動したのだろう?それはまだわからない。視聴コーナーの横に発売日に朝日新聞に掲載されたCD発売の広告と、小沢健二が書いた文章があった。
文を読んで泣いたのは、前はいつだったろう。思い出せない。ひょっとして泣いたことなどなかったのではないか。いやいや泣いたはずだ。でも思い出せない。

泣かそうとして書いた文章ではないと思う。

自分は今、こう思っている。日本の作るものはハイレゾリューションだ。(高解像度だ。)いろんなものがすべすべしている。密度が濃く、荒くない。そういう文化を、遠い昔から、悲惨な戦争の時期をも経て、今も持っている。僕は、その、気の遠くなるような文化の歴史の途中に生まれた。その文化を普通と思って先人の音楽を聴き、自分の音楽を作ってきた。アメリカに住んでいるけれど、それは変わらない。
といったような内容だったと思う。
もし今、手に入るのなら、その新聞広告の記事が欲しい。

泣かそうとしている文章を読んで泣くことはあるが、こんなに泣かそうとしてない文章で泣くのは初めてなのだろうか。音楽と一緒にあるからか。
「流動体」は何を意味するのかが、朧げながらわかる。

なにか、自分の中で消化できないような大きいテーマのような気がする。
今の日本では政治的なことに結びつけようとするけど、その事がちっぽけに思えるような。
もっともっと後ろに引いて物事を見ているような、神の目線のような。

もっともっと大きく広い、なにか。

2 件のコメント:

  1. 小松さんに新譜聴きはったか聞こうかと思ってたところです。オザケンキター!って腰浮きました。
    新聞広告はhttp://twitterism.net/archives/6487にありますね。細かいですが。
    「スベスベ感」ですよね。以前からこの感じある人のように思うのですが、さらにこの点がむき出しになったような・・・。まあ感じ方はそれぞれっすよね。
    明日ミュージックステーション出るみたいですんで改めて聞いてみようと思いやす。
    追伸;昨日増井先生のコンサート行きましたら、トラベルソ名手のHSBさんがいはりましたよ。例のパノルモがうなってました。

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  2. sakaさん、書き込み、ありがとうございます。昨日、増井さんのコンサート、迷いに迷ったんですが行かなかったのです。その反動でオザケンのシングル購入になったかもしれません。
    スベスベ感がありつつ、言葉はいちいちひっかかるのですね。上質のポップミュージックの聴きやすさの後ろには剣や毒が仕込んであるのが常です。これはちょっと違う形で出してきたなー、って思うのです。なぜか危機感を募らせます。それはわかっていることなんですがね。
    今日、買って帰って、もう7〜8回リピートしてますね。

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